2代目起業家の物語 巻の二

昨日の続きです。

昨日の内容をお読みになりたい方はこちらからどうぞ↓

http://www.coach-pv.com/2015/10/05/2代目起業家の物語/


母の口から父の起業当初の様子を聞くことができました。


父はどうやら5年ほど会社員をしてから

生涯続けた設計士として起業したようです。



今から50年ほど前の話です。


中学を卒業した父は、

建築関係の専門学校に通うため大阪に引っ越しました。


ちなみに、父と母は中学の同級生です。



専門学校では生涯の友3人と出会ったそうです。


卒業後、それぞれバラバラの道を歩むのですが、

父は土木関係の会社に勤め始めます。


当時は建築士の資格を取るのに実務経験が必要で、

現場監督として経験を積んでいきました。


その時、ある病院の改築作業に当たっていた父は、

結核を患います。



それが分かったのは、

勤めていた会社を辞めて開業準備中のときで、

しかも母との結婚直前だったそうです。


なんと間の悪い^^;



とはいえ、もはや不治の病ではなかったため、

長期に渡りましたが治療を終えて無事退院します。


しかし、またも間の悪い出来事が・・・。



資格を取るために猛勉強したにも関わらず、

試験内容が大幅に改定され不合格。


なんとか筆記試験はパスしていたので、

翌年は実技(製図)のみをさらに猛勉強。


が・・・、

またも試験の変更によって、

再度筆記試験も受けなければならないことになってしまいます。



しかし、その翌年、やっとの思いで資格を取り、

自宅に事務所を構え開業します。


そして、いざ事業スタートという時に、

出遅れたという思いがあったのか、


「これからは製図もコンピュータの時代だ」


と、稼ぎもないのに多額の投資します。



今から30年以上前の話ですので、

相当な額だったようです。


それが尾を引き、またさらにバブル崩壊もあって、

最後の最後まで返済に追われることになります。



そして、間の悪さの極めつけが、7年半前です。


予約受注していた数棟を建てればやっと借入金完済という段になって、

悪性黒色腫という皮膚ガンに罹り、この世を去ります。



まだ父が生きていた入院中、

妹たちが父の気を紛らわせるために


「したいことあったら言ってみ。

クロスワードでもパズルでも持ってきてあげるから。」


というと、決まって父はこう答えたそうです。



「仕事」



さすがに妹たちも

「そりゃ無理やわ」と苦笑い。


脳に転移し、意識があるのかないのかわからない状態でも、

最後の最後まで仕事を忘れなかった父。



その後、闘病の甲斐もなく、

発覚から約1年で亡くなりました。



当時、仙台に赴任中だった僕は父の臨終に

立ち会うこともできませんでした。


なんとか駆けつけた葬儀で

僕は信じられない光景を見ます。



お金もなかった我が家では、

葬儀場を借りられず、近所の公園の集会所を借りて

葬儀をあげました。



この時、僕の目に飛び込んできたのは・・・。




と、長くなってきたので、今日はこの辺で。


続きはまた明日のブログで書きますね。



では、今日もがんばりましょー!